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あなたのとなり
生まれたときから、わたしの場所はあなたの隣。
嫡男は他の屋敷で、大勢の家臣と供に暮らすという慣例を覆し、
あなたとわたしはずっと一緒に育った。
他家の者から、嫡男は家を出て暮らすのが普通だと聞いたとき、
わたしはあなたが病に倒れた事を、心から喜んだ。
あなたが重篤な病に冒されなければ、右目を失くさなければ、
きっと慣例どおり、あなたは家臣と暮らし、わたしとは接点が少なかったはずだ。
「兄上…」
「なんじゃ、小次郎?」
呼びかけると、あなたが応える。
「…なんでもありません。」
「なんなんじゃ、一体?」
困ったように微笑むあなたは、わたしだけのものだった。
学問も、武芸も一緒に励んだ。
わたしの場所は、いつもあなたの隣。
食事も一緒。風呂も一緒。
流石に寝る部屋は別だったけれど、あなたの寝所に潜り込むなんて、日常茶飯事だった。
それが当たり前で、それが当然だったのに――。
「小次郎、もうここへは来るな。」
「兄上…何故?」
「わしはもうすぐ結婚する。暫くすれば、正妻として田村家から姫が嫁いでくる。」
「……結婚……」
「寝ているところへ、お前が潜り込んできては、姫が驚くじゃろう。」
暫く、あなたの言葉が理解できなかった。
だって、あなたの隣はわたしの場所で、他の誰が居ても良い場所ではないから。
言われた言葉を何度も何度も頭の中で反芻して、わたしはようやく答えに至った。
「兄上が…結婚?……そんな事…認めない。」
「小次郎?」
「兄上は、わたしのものでしょう?見もしない、知りもしない姫とわたし、
どちらが大事なんです?」
あなたの力になりたいと思っていた。
あなたの力になれるよう、学問も武芸も、あなたに劣らぬ様に腕を磨いてきた。
全てはあなたのためなのに。
あなたを助けられるよう、わたしは生きている。
けれど、あなたの隣にわたし以外の"誰か"が存在するなら、
このまま、あなたの役に立てなくて良い。
大人になどなりたくない。
「小次郎?」
俯いたわたしを不信に思ったのか、あなたがわたしを覗き込む。
あなたの瞳と視線を合わせれば、心配そうな、不安そうなあなたの顔。
(…嗚呼…兄上は、ずるい…)
「どうした小次郎?何故、泣く?」
問われた言葉に何も返せぬまま、わたしはあなたを真っ白な布団の上に押し倒した。
「それならば、結婚などされなければ良い。
跡取りなら、分家筋から養子を貰えば良いではないですか。」
「…何を言って…?」
「兄上の隣はわたしの場所。誰にも譲る気はありません。」
あなたの襟を乱暴に掴んで、やや強引にくつろげる。
他を拒絶するような、月が浮かばぬ闇夜の中、
あなた自身が発光しているかのような錯覚を覚える。
それほどに、あなたの体は輝いて見えた。
驚いているあなたを見下ろしながら、その白い首筋に歯を立てる。
ゆっくり、じわじわと顎に力を入れると、柔らかな肉の弾力が伝わってくる。
噛み付いたまま、舌を這わせるとあなたの体が跳ねた。
「嫁いでくる姫に、見せ付けてやりたい。」
ゆっくりと口を放し、徐々に浮かんできた赤黒い鬱血に、わたしは見惚れた。
あなたは、驚くでもなく、ただじっとわたしを見つめる。
その黒曜石のような瞳は、暗いのに何故か眩しい。
「兄上、あなたも、もう分かっているでしょう?
光と影のように、誰もわたし達を別つ事はできない。その姫にも。
わたしには、兄上だけなんです。」
わたしは、子供ながらの必死さで、あなたに訴えていた。
あなたもそれをわかっていた筈だ。
だからあなたはわたしの暴挙を咎めず、抱き返してくれたのでしょう?
「兄上…わたしの命は兄上のものです。」
「小次郎、もう何も言うな。」
それから程なくして、あなたは居を移した。
もうわたしの手の届かない場所へ。
――あなたの隣は、姿を見もせぬ姫の物。
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