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傾く
慶次は思うのだ。
それは、ほんの一瞬のうちに訪れて、気づくともう抜け出す事ができない。
一体何時からだろう。
もう覚えては居ない。
けれど、普段、意気高な彼が、ふとした時に見せる沈んだ表情を見たとき、
何かがはじけて胸中を埋め尽くしたのだ。
一度傾いたら、もう元に戻すことはできない。
それを、恋と呼ぶのではないか。
「さぁて、それじゃ、行きますか。」
慶次は腰を上げると、愛馬・松風に跨った。
前田家を出奔してからしばらく振りに、利家と会った。
元気そうで何よりだ、と思ったが、
今、この戦場には、それよりも気になる存在が居る。
小さな成りで、一丁前に『竜』の渾名を背負う、奥州の王、伊達政宗だ。
母には疎まれ、父を撃たねばならず、更に弟までその手で殺さねばならなかった、
家族の愛に恵まれない男。
利家という、慕うべき叔父の居る慶次にとって、
家族の愛を知らない政宗の胸中を知ることは出来ない。
けれど、気丈に振舞うその小さな体を、守ってやりたいと思うのだ。
政宗の任された北砦は、慶次とは丁度反対側。
気にはなるが、彼も一介の武将。そう易々とはやられまい。
自ら割り当てられた仕事をきっちりとこなし、慶次は松風を躍らせた。
背後に飛んでいく風景。
そして、眼前には、小さな独眼竜の姿。
「よぉ政宗ぇ、調子良さそうじゃねぇか。」
「慶次!おぬし、詰め所はもう良いのか?」
北砦を攻めていた政宗が、驚いて馬上の慶次を見上げた。
その間も、愛用の倭刀、二丁拳銃が攻撃を休めることはない。
切り上げ、蹴り付け、銃口から火花が散る。
その様を綺麗だ、と慶次は思った。
あらかた敵が片付くと、政宗は自嘲気味に呟いた。
「母を追い出し、父を撃ち、弟を殺して尚、わしは何をしておるのじゃろうな。」
「政宗…」
「…忘れろ。讒言じゃ。」
慶次の前で何を言っているのか、と政宗は気まずそうに舌打ちし、
桜野の手綱に手を掛けた。
慶次はひらりと松風から飛び降りると、
今まさに馬上に上がろうとしていた政宗の細腰を抱え込んだ。
「なっ?!何をする!」
「まぁまぁ。こっちに乗れよ。」
驚く政宗を気にも留めず、慶次は松風の鞍上に政宗を抱き上げた。
そして、政宗を抱くように自らも馬上に跨る。
「おい、慶次!なんの冗談じゃ!馬くらい、一人で乗れる。」
「固いこと言いなさんな。松風の速さ、堪能しな。」
はは、と笑い、慶次は松風の腹を蹴った。
「は…恥ずかしいではないかっ!降ろせ、慶次!!」
「なんだぁ、政宗は恥ずかしがり屋か?」
「そういう問題ではない!」
馬上ではろくに抗うことも出来ず、政宗はただ慶次に抱かれるように、松風で戦場を駆けた。
流れるような景色、他の武将が驚いているが、政宗にはどうしようもない。
半ば諦め、慶次の好きにさせた。
「酔狂な奴じゃ。」
「はっはぁ!俺は傾向者なんでね。」
上機嫌で松風を駆る慶次。
そんな慶次の破天荒な言い分に、政宗は高らかと笑った。
「はははははは!おぬしらしい!!」
「おっ、笑ったな、政宗。
やっぱり、お前はそっちの方が合ってる。」
「なんじゃ、藪から棒に。」
「辛気臭いお前も嫌いじゃないが、俺は笑ってる政宗の方が好きだねぇ。」
手綱を握っていた右手が、政宗の鼻梁を撫でた。
「なっ?!」
驚く政宗にお構いなしに、慶次は、ついで唇も撫でる。
「辛いことはみぃんな、笑い飛ばしちまいな、政宗。」
「……当然じゃ。」
俺が、お前を見ててやるよ。
松風を駆りながら、慶次はそう胸中呟いた。
戦には勝利したものの、松風を縦横無尽に走らせ戦場を引っ掻き回した慶次は、
この後三成にこっぴどく叱責されるのだが、
秀吉の計らいによりお咎めもなく、また、政宗に至っては怪我はなかったか、と
三成に心配されるほどであった。
(政宗は人気者だねぇ…。俺も、本腰入れてかかるとしようか。)
三成・兼続・幸村に囲まれ、そこかしこ点検されるように
怪我の有無を心配される政宗を遠め目にみつめ、
慶次はにんまりと笑った。
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