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後悔先に立たず
「上田城の戦、加勢などしなければ良かった…。」
孫市のせいじゃ、と呟き、政宗はその隻眼で、恨めしそうに目の前の紅を見上げた。
昔よりは縮まったが、それでも見上げなければならない、男の顔。
「政宗殿…」
困ったように、幸村は微笑み、ただただ、礼を崩さぬように気をつけた。
意識していなければ、すぐにでも目の前のか細く震える身体を掻き抱いてしまいそうだったから。
(あまり、困らせないでいただきたい…。
もとより蟲惑的な方なのに、自覚がない。困ったお方だ。)
「上田の城など徳川にくれてやれば良かったのじゃ…
わしは…わしは…城などより、おぬしを奪われるほうが、辛い。」
「ありがとう存じます、政宗殿。
そのように仰っていただける事、幸村僥倖に思います。」
「そのような言葉使いは止めよ!」
「…政宗殿…」
幸村はますます困ってしまう。
激戦を繰り返し、煮え湯を飲まされ、それでも政宗は龍と渾名されるとおり、
周りを取り込み巻き込み、時に波に飲まれることもあったが、
押しも押されぬ奥州の王として、領内を立派に収めているはずなのだが。
(目の前のこのお方の姿ときたら…まるで駄々っ子のようではないか…)
その表情や態度を取らせているのが自分だ、と思うと、
とても優越感に浸ることが出来るのだが、幸村はそんな思いをそっと胸にしまいこんだ。
「今からでも遅くは無い。家康公に帰順せよ。
わしからも取り成してやる。だから…」
「政宗殿、これは、わたしのもののふとしての意地。」
「馬鹿め!上田の折にも申したはず。生きてこその意地よ。
死ぬための意地ではないわ!」
馬鹿め、ともう一度呟き、幸村の甲冑で覆われた胸をどん、と叩く。
心の臓あたり、甲冑越し故に、鼓動を感じられず、政宗は悔しく思うと同時に、恐くなる。
近い将来の幸村を見るようで。
動かない心臓。
開かない瞼。
もののふとしての意地を貫き、死地へ赴こうとしている、幸村。
「わしでは…おぬしを止められぬのか。どうしても、大阪へ行く、と?」
「申し訳ありませぬ…」
「九度山を脱し、顔を見せたかと思えば、永劫の別れをしにきた、と?」
「……はい。」
嫌いじゃ、と。
政宗は呟く。
「残される者の痛み、お前には分かるまい。」
「残す者の痛みを、政宗殿はご理解くださりませぬのか。」
「ふん。知りたくもないわ、そんなもの!
残すも残さぬも、お前次第ではないか、幸村。」
幸村は、槍を携えていた手から、力が抜けた。
涙はなくとも、政宗は泣いているように見えたのだ。
ガランと、槍が地面と接触する音がどこか遠く、脳髄に達する。
「上田城で加勢せねば良かった。
"もののふの意地"だの"進むべき道"だの。解からぬままでおれば良かったものを。」
「政宗殿…」
幸村は、遂に我慢が利かず、目の前の政宗の身体を抱きしめた。
鎧を身に纏ったからだはごつごつと堅いが、
それでも華奢な政宗の痩躯を感じる事が出来た。
「ご無礼、お許しを。」
「…何を、今更…」
「お慕いもうしあげております。」
「……知っておるわ。」
震える声は、涙が混じっているのか。
幸村は胸が締め付けられる思いがした。
大阪冬の陣は、徳川と和平を結んだ。
けれど、此度の夏の陣では、もう豊臣は滅ぶ。
徳川は、真田幸村の力を恐れ、懐柔しようと、幸村に対し使者を立てた。
一万石でも、一国でもなびかなかった幸村。
その話を聞き、政宗は居ても立っても居られず、馬を駆ってここまで来たのだ。
「幸村…わしと共に次の道を往こう。お前の死に花など、見とうない。」
「政宗殿…政宗殿…!この世に貴方を遺して逝くことだけが、幸村の心残りでございます。」
「馬鹿を申すな!生きよ、幸村!!」
抱きしめられていた身体を引き離し、政宗は幸村の物騒な告白を拒絶する。
「政宗殿…お慕いしておりました…」
告げられる言葉と、政宗の唇に重なる、温かで、それでも冷たい唇。
(嗚呼…上田になぞ、行かねば良かった。
幸村を助けなければ、"もののふの意地"に生きる幸村など、見ずに済んだ。)
けれど、真っ直ぐに己の信念にしたがって生きる幸村に惹かれた自分が、
それ以外の幸村に興味を持ったかどうか、疑問ではあった。
ただ一つ、後悔は先に立たぬ、ということ。
「幸村…お前に、会わねば良かった。」
「ひどいことをおっしゃるのはこの口か。」
悲しそうに呟いて、幸村は再び政宗の唇を奪った。
今度は、まさに"奪う"という表現が正しいくらいに激しく。
呼吸も、鼓動も、命すら奪わんというほどに。
「幸村、お前を討つのはこのわしじゃ。その首、他の誰にもやりはせぬ。」
「政宗殿…。そのお言葉、うれしゅうございます。」
儚く微笑む、紅蓮。
戦場で再び会い見える時、二人は敵同士。
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