「あなたが、好きです。」
そう、告げて来たのは確かに魔女だった。
ただし、"魔力の導き"が現れていない、少女のような外見の。
破壊本能に目覚める前に、殺してしまうべきなんだろうが、
その時はそういった気分ではなかった。
死神の気まぐれは、一人の魔女の運命を変える。
「で?どうして欲しいわけ?好きだと言えればそれで満足?
それとも抱いてほしいの?」
興味なさ気に地図を見る。
今日はどうも気まぐればかりが起こるらしい。
マントもつけず、仮面もかぶらず、ふらりと外に出てみれば、魔女からの告白。
そしてこれまた気まぐれにもこの魔女の命を見逃すことにした。
「…それは…」
赤面し、口ごもる魔女に一瞥をくれると、死神は尊大に座っていたベンチから立ち上がる。
ここは昼中の公園。
魔女と死神が馴れ合いをして良い場所ではなかった。
少なくとも、目の前の魔女にとっては、この光景を目撃されれば、
同族から糾弾される事態になるだろう。
「俺も忙しいから、それだけならコレで。」
「…まって…!」
歩き出した死神の服の裾を掴む魔女。
ひどく言いにくそうに、視線をさまよわせるさまが滑稽で、
死神はからかい半分、魔女を抱くことにした。
「おいで。」
そうして、ただ一夜限りの関係は結ばれた。
死神は魔女の名前を知らない。聞かないし、知ろうともしなかった。
けれど魔女は死神の事を知っていた。
これが魔女の掟に反することも、禁忌だという事も知っていながら、
死神に想いを寄せ、想いを告げ、さらには死神の気まぐれも手伝って想いを遂げた。
そして宿った一つの命。
本来であれば許されるはずの無い命。
この事実を知ったとき、死神は、腹の子ごと魔女を引き裂くつもりでいた。
あまりにも容易な事だし、死神の良心に何も打撃を与える事柄でもなかった。
けれど、その魔女と腹の子を殺すために魔女の元へ訪れたとき、
再び死神は気まぐれを起こした。
魔女の目どころか、人の目さえ避けるような、
深く暗い森の奥、小さな家。
目の前の扉が開き、変わらぬ魔女の姿、けれど確実に大きな腹を見たとき、
死神は出会い頭に殺すのをやめたのだ。
嬉しそうに綻ぶ魔女の顔に、少しだけ心を動かされたのかもしれない。
小さく簡素な家は、それでもどこか温もりと幸せが溢れていた。
粗末な椅子にどかりと腰掛けると、魔女が紅茶を入れて持ってくる。
そして、死神の前に丁寧に置くと、彼女自身は椅子の側にあるソファに身を預けた。
「デス…お願いです。もし、私が"魔力の導き"で心を亡くしてしまった時には…
どうか、あなたの手で逝かせて欲しいのです。」
「…生きたいとは、思わないの?」
傲岸な魔女とは思えない、殊勝な言葉に、死神は紅茶を飲みながら聞き返した。
死神を見つめ、ゆっくりと首を横に振る魔女。
「あなたと、我が子を敵に回してまで生きたいだなんて、私は思わない。」
「君は魔女だ。今はまだ破壊衝動が目覚めてないだけだ。
だから、そんな甘いことが言えるんじゃないの?」
「本当に、魔女がキライな人なのね貴方は。」
困ったように微笑みながら、
魔女は間もなく産まれてくるであろうわが子が居るお腹をそっと撫でた。
「信じてくれなくても良い。でも、私は本当に魔女となる前に、貴方の手で逝きたい。
でも、もう一つだけ、我がままを聞いてくれるなら、
この子は許してあげて欲しいの…。この子に罪は無いもの…。」
「魔女ではなく、死神として産まれてきたなら、ね。」
軽く肩を竦める死神に、魔女は今度は悲しげに眉を寄せた。
「デス、全ての魔女を悪だと決めつけてしまうのは、貴方の悪いところだわ。
悪は許してはいけないけれど、全てを悪だと決め付けてしまうのは、良くないと思うの。」
「魔女の君が、オレに説教?」
鼻で嘲笑う死神に、魔女は悲しそうに自嘲する。
「そう…ね。おかしいわね。」
何故か、釈然としないまま、死神はその日は特にそれ以上会話するでもなく、
魔女の住まいを離れた。
その魔女が、"魔力の導き"により破壊衝動に目覚めた、と知らせを受けたのは、
一週間後だった。
これも、死神の気まぐれだった。
別に名も知らない魔女の望みをかなえてやるつもりは無かった。
けれど、魔女がいて、破壊衝動に駆られて人を、動物を殺戮するなら、
その魂は滅せなばならない。
ただ、この日はいつも連れて行くデスサイズスは誰も連れずに、一人で赴いた。
「やぁ。やっぱり、目覚めたね。」
どこか冷めた死神の声に、魔女はゆっくりと振り向いた。
以前まで確かにあった温かな感情を湛えた瞳が、冷たく凍っている。
「…死神…」
忌々しそうに告げる言葉も、今までとはまるで違う。
「お前の望みをかなえるわけではないけど。
魔女を放置しておくわけにはいかないからね。せめて、その子供と一緒に殺してあげるよ。」
言うが早いか、死神は一瞬で魔女の懐に飛び込み、
そのままその心臓を貫いた。
口から血を吐き、屑折れる魔女。
「…デ…デス……ありが……ぅ……」
体が地面に倒れこむ間際、魔女は涙を流した。
幸せそうな顔をしていた。
母体が死ねば、子供も死ぬ。間もなく、子供も息絶えるだろう。
死神は何の感慨も無く、息絶えた魔女の腹を裂いた。
そして、烈火のごとく激しい産声を聞いたのだ。
「……死神…か。運が悪いな、お前は。」
もし、魔女として産まれてきたならば、この場で。
母の隣で死ねたのに。
魔女のちに濡れた手で、母の血に濡れたわが子を抱き上げた。
「…お前は、今日からデス・ザ・キッド。私の息子だ。」
へその緒を切ってしまえば、赤ん坊は泣きやんだ。
通常の赤ん坊なら目さえ開かないような早産だったろうに、
その子は瞳を開き、しっかりと死神を見た。
黄金の瞳、漆黒の髪。
血に濡れても尚美しい、色。
否、血の紅に染まっているからこそ美しいと感じるのかもしれなかった。
血に映える容貌、それは確かに死神の血を引いている証。
「キッド、お前、多分俺を越えるな。」
死神とて、自らの誕生を覚えている訳ではなかったが、
母を殺した男の手で取り上げられることも、産まれてすぐに泣き止んだことも、
おそらく経験し無かっただろうと思う。
*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*
「父上、何をしてるんだい?」
「あ、キッドく~ん♪」
デス・ルーム。
鏡に向かっていた死神に背後から声を掛けるのは、
彼が愛して止まない、成長した息子。
今はもう、魔女の顔すら覚えていない死神。
それでも最愛のわが子、キッドを殺さずにいて本当に良かった、と。
今ではそう思う。
そして、わずかながら残っているかすかな記憶。
魔女の、おそらくささやかな願い。
『魔女を悪だと決めつけてしまうのは、貴方の悪いところだわ』
この言葉の意味は、少しずつ分かりかけている。
死神は、今はもう闇雲に魔女を殺すことだけはしなくなっていた。
あの時魔女を手にかけたことを悪いことだとは思っていない。
死神は魂の管理人であって、悪人の、特に魔女の魂は狩らねばならないのだから。
彼女の魂は、本来ならデスサイズスの誰かに喰わせるべきだったのだろうが、
死神はそっと魂の浄化を行い、魔女を来世へ送り出していた。
次はどこかでひっそりと、人間として生きているはずだ。
もう出会うことは無いかもしれないが、次の人生こそは、魔女の望むものであるように、と。
死神は切に願う。
わが子の誕生も、"魔力の導き"なく穏やかに過ごしたがっていた、
風変わりな名も知らぬ魔女への、せめてもの手向けとして。
PR