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今、嫁に行きます。
上田城の攻防戦で、思わぬ形で知ってしまった事実。
上座に座り、当然のように身を寛げていた、子供のような人物が、
かの奥州王、伊達政宗である事。
様々な謀略蠢く奥州の覇権争いで、父を見殺しにしてしまった直後である事。
(…聞くつもりはなかった。)
とは言え、偶然にも雑賀孫市と直江兼続の話を聞いてしまった今では、
気に掛けるなという方が無理だ。
幸村の父、幸昌が祝勝会と称して開いた、ごく小さな酒宴では、
今日の合戦で活躍した五…もとい、
六名を加えて穏やかに、賑やかに酒がすすでいる。
それぞれに楽しんでいるように見えるが、やはり事情を知ってしまったせいか、
輪の中で一人、小さなその人だけが空気に馴染んでいないような気がする。
幸村を含め、三成・慶次・兼続・孫市・政宗といった若い武将を、
微笑ましそうに見つめる幸昌をこっそりと眺め、どこか恋しそうな顔をしている。
そんな姿を見ると、幸村はどうにかして力になってやりたいと思ってしまうのだ。
(これは、同情なのだろうか…。
いや、この気持ちは、きっと上田城を守ってくださったお礼をしたいという気持ち。
それに結局は気高いあの方の事だ。"同情"などもっとも嫌うだろう。)
幸村は、そう考えながら、慶次に注がれた酒を一呑みに飲み干し、杯を置いた。
「おっ!いい呑みっぷりだねぇ幸村!もう一杯どうだい?」
「幸村、あんまり乗らないほうが良いぜぇ。政宗も、お前自分の酒量分かっておけよ。」
「…ぅるさいわ。それくらい、分かっておる。」
世話焼き爺め、とぼやくものの、酒の入った杯は孫市に奪われてしまう。
酒が入ったことによる軽い酩酊状態のせいか、みなほんのり顔が赤い。
そんな中、酒を奪われ不貞腐れた政宗は席を立った。
「おい、どこへ行く?」
気付いた兼続が声を掛けるが、政宗は無視して部屋を後にする。
政宗の後を追おうと、席を立った兼続を軽く精して、幸村が代わりに立った。
「わたしが行きましょう。」
「……すまない。」
口ではなんだかんだと言うが、政宗を一番心配しているのは、
この兼続だろうと幸村は思う。
そして、そのことに少しだけ苛立ちを覚えてしまう。
ただ、兼続は思いのほか不器用で、いつも政宗の反感を買っているのだが。
政宗に続き部屋を出た幸村は、小柄な人影を追った。
廊下を抜け、渡りを過ぎて、中庭に面した廊下に腰掛けている。
その姿は、母の帰りを待つ子のようにも見えた。
「……政宗殿……」
「…なんじゃ、お前まで抜けてきてしまったのか?」
「はい」
遠慮がちに声をかけて、少し躊躇った後、幸村は政宗の隣に腰掛けた。
「戻らないのですか?」
「…しばらく、ここに居たい。」
「夜は、冷えますよ。」
「奥州ほどではないがな。」
短い言葉で会話をしながら、幸村はどうしたものかと考えた。
なんとなく、兼続にも孫市にも、政宗の後を追わせたくなくて、追ってきたものの
会話の糸口が見つからない。
「今日の戦振り、お見事でした。」
「?」
「私は不器用ですので、槍の扱い方しか知りませぬ。
ですが、政宗殿は倭刀に銃を二丁も扱われる。私には、とても真似できません。」
知り合って日も浅く、会話と言えば今日の戦の事くらいしか、
幸村には思いつかなかった。
「…まぁ、慣れじゃな。鍛錬すれば、お前も、扱えるようになるじゃろ。」
「そうでしょうか。」
「あぁ。」
頷きながら、何を思ったのか政宗は幸村の手を取って、その指先を開かせた。
そして、幸村の手の平と、政宗の手の平を合わせる。
「見てみよ、お前の方が随分と手が大きい。
身丈もわしよりある故、きっと大丈夫じゃ。」
酒の力がそうさせるのか、月光の元微笑む政宗は、酷く儚く見えた。
「…銃…がないですね…」
「奥州には沢山あるぞ。伊達自慢の鉄砲騎馬隊を見せてやりたいものじゃな。」
自嘲気味に笑う政宗に気付き、幸村は慌てて呆けた頭で考える。
戦で父を見殺しにしたばかりなのだ。話題転換を、と。
「お…奥州には、他に何があるのですか?
信濃では…そうですね、野菜が美味しいです!」
急におろおろと、身振り手振り話し始めた幸村にきょとんとした無防備な表情を見せ、
政宗は幸村を見つめた。
「奥州にも野菜はあるが…。」
「花…花も綺麗ですっ!」
「まぁ、そうじゃろうな。」
「行ったことがないので、是非行ってみたいですね、奥州へ。」
「そうじゃな…まぁ、暇な時に来ると良い。歓迎するぞ。」
もっとも、戦乱の世に"暇"などありはしないが、と苦笑しながら続ける政宗が
どうしても寂しく見えてしまい、幸村には掛ける言葉がなかった。
黙ってしまった幸村に、政宗が声を掛ける。
「…さぁ、今日の主役はお前じゃろう。早よぅ酒宴に戻れ。」
軽く手を振って、追いやる仕草を見て、
幸村はとても残念に思い、そして傷ついた。
「政宗殿…」
「わしは、もう暫くここに居る。お前は戻れ。」
何時になく柔らかい声ではあるが、命令口調に変わりはない。
仕方なく、幸村は後ろ髪引かれる思いでその場を後にした。
数ヶ月が経ち、援護に駆けつけてくれた武将は、
すでにそれぞれ自分の城に帰ってしまった。
けれど幸村は政宗の事が気になって仕方なかった。
「…幸村、何を考え事しているの?」
「稲…あ…義姉上殿…」
上田の戦い以降暫くして、幸村の兄・信幸に稲姫が嫁いできた。
とは言え、武将の娘であり、武将の妻である彼女は
とても溌剌としていて活動的だ。城に居ることの方が少ない。
今日も領地検分に行くと言って一人、城を出てしまった。
政務に忙しい兄に代わり、幸村が迎えに来た訳だが、逆に稲に引っ張りまわされて、
今は小さな池のほとりで休んでいるところだった。
「幸村、どうしたの?何か考えごとでも?」
「…実は、どうしてもある方の事が気になってしまって。
その方の事を考えると、胸が苦しくなってとても会いたくなるのです。」
小袖の襟を握り締めて、幸村は稲に包み隠さず話してしまった。
本来は話すべきでは無いのだろうが、この苦しい胸のうち、吐露してしまいたかった。
それほどに気持ちが膨らみ、切迫していた。耐えられなくなっていたのだ。
「幸村、その歳になって指摘されるのはどうかと思うけれど、
それは間違いなく恋よ。」
「…恋…ですか。」
断言する稲に、幸村は動揺することなくその言葉を聞いていた。
驚きはしなかったが、心は晴れないまま。
「恋だとしたら、わたしの恋は決して実りません。」
「それは、何故?」
「敵同士だからです。」
「あら、私と信幸様も初めは敵同士だったわ。上田の城で戦ったこと、忘れたの?」
「そういえば、そうでした。」
足元に生える草をぶちぶちと抜きながら、抜いたその草を池に投げいれる。
まるで子供のような遊びじみた行動だと分かっていたが、
幸村自身、心のうちのモヤモヤしたものをどうしたものか、扱いに困っていたのだ。
少しでもそのモヤモヤを晴らそうとした行動だった。
「私と信幸様も初めは敵同士だったけど、
今では『婚姻』という形で、和平を保っているわ。信幸様は尊敬できる人よ。
お義父様も、幸村も、とても良い人たち。」
暗に、嫁いできて良かったと告げる義姉に、幸村もほっと胸を撫でる。
そして唐突に思いつく。
これぞまさに、天啓だ、と。
「婚姻!その手がありましたね!!」
そして、幸村は突然立ち上がり、稲姫を置いて駆け出した。
「ちょ…っ幸村?!」
「すみません義姉上っ!!急いで城に戻ります!!!!」
驚き、慌てて声を掛ける稲姫を置いて、幸村は城への道を駆け抜けた。
「そうだ、その手があったのだ。
なんでもっと早く思いつかなかったのか…!こんなに良い手はない!」
幸村は駆ける。
今は心の靄も晴れ、頭もすっきりとしている。
気力にも希望にも満ち溢れて、とにかく逸る気持ちを押えられなかった。
(政宗殿に会いたい。政宗殿と一緒に居たい。政宗殿の寂しさは一緒に味わって半分に、
政宗殿の楽しみは一緒に楽しんで二倍に、そんな生活をしたい。
けれど今は敵同士…ならば…)
「今、嫁に行きますっ!!!待っていてください政宗殿!!!」
思わず大声で叫びながら街を疾走する幸村を、
領民は微笑ましく見ていたそうだ。
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