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君の名
くのいちが、幸村と政宗の文を運ぶようになってから、しばらく。
始めは必要以上の話はしなかったくのいちと政宗だったが、
この日は違った。
「…おぬし、怪我をしておるではないか。」
「にゃっ?ありゃ~…ホントだ。」
政宗に指摘され、くのいちは己の膝下を見つめた。
「忍のくせに、そのように露出の高い服装をしておるからじゃ、馬鹿め。」
こちらに来い、と政宗は部屋の障子を開け放したまま、室内にひっこんだ。
「えっ…えと…ちょっと・・・!政宗…さん?」
呼びかけても答えはなく、文の返事も貰ってないくのいちは、
しばし途方に暮れたあと、「おじゃましまーっす」と小さく呟いて、室内へ入った。
部屋の片隅に置かれた文机ではなく、品の良い漆塗りの薬棚から、
何かを取り出していた。
「いいから、こちらへ来い。」
「うにゃー…」
招かれ、くのいちは恐る恐る政宗に近づいた。
足を見せてみよ、と言われ、素直に足を出す。
手ぬぐいで血を拭った後、手に持っていた軟膏を塗りつけた。
「しみるか?」
「……ちょっち…」
そうか、と呟いて政宗はふと微笑んだ。
「こうして、まともに会話をするのは始めてじゃな。」
「うん…。」
「おぬし、名は?」
「忍に名前はないよ~。」
「半蔵や小太郎にはあるではないか。」
「あの二人は、トクベツなの!」
一介の忍に名など、付くはずは無い。
忍は影の存在。名など持たないのだ。
「…それでは、わしが困る。お前の名を呼べぬ。」
「えっ?えぇ?」
くのいちは驚くと同時に、困ったように政宗を見つめた。
主、幸村だとて、くのいちに名をつける、と言った事は無かった。
幸村と対面したとき、名は問われた。
けれど、名はない、と答えたら、「くのいち」と。以降ずっとそう呼ばれている。
別段、それで困ることも無かったし、くのいちもそれで良かった。
だから、政宗も"くのいち"と呼べば良いのだ。
「お前にも、お前の"名"が必要だ。」
「えと…政宗…サン?」
「構わぬのであれば、わしが名を付けたい。」
「えぇっ?!」
突然の申し出に、くのいちは驚いた。
「構わぬか?」
「えと…構わないけど……でも…」
「安心せい。幸村の前では呼ばぬ。おぬしとわし、二人のときだけじゃ。」
ふわりと微笑まれ、わけも無く胸が高鳴る。
知らぬうち、くのいちは頷いていた。
「礼を言う。
では、"雪"というのはどうじゃ?幸村の忍じゃからな、"ゆき"の読みを貰った。」
こくり、とくのいちは頷く。
"雪"
自分に与えられた、初めての名。
くのいちは頬が紅潮するのがわかった。
「おぬしは、影は似合わぬ。
もし、平和な世が来たならば、もう忍はやめよ。真っ白な雪のように、白い人生を生きるといい。」
政宗はそれだけ言うと、すっと立ち上がり、文机に向かった。
くのいちは、政宗の言葉を胸の中で何度も反芻した。
幸村の忍である事は誇りだった。
けれど、一個人として、自らを認めてくれた政宗。
なんだか、胸がくすぐったい。
知らず、くのいちの頬に涙が一筋、流れた。
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