*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*
愛と三成
聚楽第の一角。大名屋敷が立ち並ぶ区画に、伊達家の屋敷もある。
小田原遅参で暫く政宗を拘留していたが、政宗を奥州に戻す代わりに、
三成は政宗の正室・愛姫を聚楽第・伊達家大名屋敷へと移住させることを命じた。
それは表向き、政宗の謀反や行動をけん制するためのものとして、
秀吉に進言したものだったのだが、本心は違った。
親が決めた相手とはいえ、
政宗は愛姫と仲が良く、愛姫も、一時夫婦仲が悪い時期もありはしたものの、
政宗を好いていると聞き及んでいたから、二人を引き離したのだ。
簡単に言えば、三成は嫉妬していたのだ。政宗に愛される愛姫に。
三成は軽く溜息をつきながら、目の前の門を見つめた。
聚楽第での伊達家の屋敷。
政宗と引き離した、愛姫が暮らす屋敷。
機嫌伺い、ということでやってきたが、三成としては会いたくない相手だ。
しばらく門の前で考えているが、軽く頭を振り、三成は門をくぐる。
迎え出た門番に用件を告げると、すぐに邸内へ通された。
「石田様。かような場所へ足をお運びくださらずとも、
書状をいただけましたらば、こちらの方から参上いたしましたのに…。
ご足労いただき、ありがとう存じます。」
通された部屋の上座を勧められ、腰を下ろすとすぐに小柄な女性が入ってきた。
すぐに、三成の前に座すと、深々と頭を下げる。
綺麗と言うより、可愛らしいという印象が強い姫だ。
「女性を参上させるなど、できぬ。部下ではないのだ。
それに、不自由がないか、確かめに来ただけだ。」
三成は、その心算はなくともどうしても言い方が突き放したものになってしまう。
女子供にもそれは代わらない。
相手が政宗の妻であれば、それはなおさらだった。
頭を上げる愛姫は、そんな三成の言葉に気を悪くした素振りもなく、にこりと微笑んだ。
「お気遣い、ありがとう存じます。
おかげさまで、不自由なく日々過ごしております。」
「京には慣れたか?それとも、奥州が、恋しいか?」
「故郷が恋しくないはずはございませんが、大名の妻たる役目は心得ております。」
姿は可愛らしいが、凛とした姿勢は、政宗の妻に、と選ばれるだけのことはあるようだ。
ちょうど、女中がやってきて、お茶と茶菓子を出された。
「お口に合うとよろしいのですが。
先日、奥州より夫が届けてくださった茶菓子ですわ。」
どうぞ、と勧められ、三成は若干心が曇る。
政宗が、愛姫のために郷土の菓子を送ってきた、という事実が苦々しい。
ただ断ることも不自然だ。
ひとこと礼を述べて、茶菓子を口にする。
「石田様、この愛の独り言として、聞き流してくださりませ。」
「…なんだ…」
唐突に話始めた愛姫を見やると、彼女は微笑を浮かべたまま、瞳は真剣だった。
先を促すと、愛姫は臆することなく発言する。
「聡明な石田様のことですので、もうお気づきの事と存じますが…
たかがおなご一人、京に留め置いたところで、龍の意思は変わりませぬ。」
「……なんだと?」
「わたくしでは、政宗様の枷にはなりませぬ、と申しました。」
愛姫の言葉を、繰り返し反芻し、三成は黙る。
どういう心算でこのような言葉を告げるのか、良く考える必要がありそうだと、
三成は愛姫を見つめ返した。
「政宗が、お前を切り捨てると?」
「政宗様はそのような事、されませぬ。
石田殿、わたくしを京に留め置いても、政宗様の気持ちまでは、手に入らぬ、と。
そういう意味です。」
告げられた言葉に、三成は一瞬息を呑んだ。
「気付いておらぬと、お思いでしたか?
ですが…。兼続殿は義姫様が、幸村殿は猫殿が、今頃牽制していることでしょう。」
目の前の、可愛らしい少女のような女子は、愛らしい微笑を浮かべたまま、
三成をしっかりと見据えて告げる。
「残念ですけれど、政宗様はどなたにも渡せませぬ。たとえそれが、太閤様でも。
奥州では義姫様が、戦場では猫殿が、京ではわたくしが。
政宗様を狙う不届き者はゆるしませぬ。」
「……政宗の、言いつけ…という訳ではなさそうだな。」
「もちろん。政宗様はご存知ありません。
ですが、政宗様はどこまでもお優しい、可愛らしいお方ゆえ、殿方に付け入られ易くて、大変ですわ。」
夫の事であるのに、どこか自らのお人形でも庇うような口ぶりの愛姫に、
流石の三成も閉口する。
政宗の母、義姫に、目の前の愛姫に、側室の一人猫姫、
三人が組んで政宗に手を出そうとする輩を牽制しているとなれば、
相当厄介な事になりそうだ。
少なくとも、目の前の愛姫は、想像以上に確りとした、強かなおなごだ。
今手がけている仕事がひと段落したら、三成は政宗の元へ飛んでいくつもりだった。
正室である愛姫は、人質として聚楽第に残したまま。
つかの間でも、政宗を独占することが出来るのだと思っていたが、
どうやら考えが甘かったようだ。
「石田様、奥州へ出立なさる際は、くれぐれもお気をつけくださりませ。
京からはわたくしが、見送りの部隊を、奥州からは迎えの部隊が来るでしょうから。」
口を噤んだ三成に、鮮やかな笑顔で愛姫が脅しを掛けてくる。
政宗に手を出そうものならば、愛姫が京から、奥州からは義姫が伊達忍び衆を出してくる心算なのだろう。
三成は、動揺を見せないよう、ゆっくりと出された茶を啜った。
「…政宗も、良い妻を持ったものだ。」
「お褒めいただき、光栄ですわ。」
「だが、わたしも諦める事は嫌いだからな。
忠告は、ありがたく受け取るが、だからと言って引く心算もない。」
茶を啜る上座の三成と、愛らしく微笑む下座の愛姫との間に、
目に見えぬ火花が散っていた。
母や妻達が政宗防衛線を築いていることなど気付きもせず、
今日も政宗は知らぬうちに他の武将を虜にしていた。
PR